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奈良とくすりの古い関係
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■「奈良のくすり」の歴史
 “大和は国のまほろば”といわれるように、奈良県は古来地の利を得て、早くより悠久の歴史をもつ文化が発達し、とくに飛鳥・天平の華麗な文化と自然美との調和は人々に多大の感銘を与えております。
 「奈良のくすり」の歴史は、例えば既に1200年も前から有名な「役の行者」による「陀羅尼助」或は南都唐招提寺の「奇効丸」、西大寺の「豊心丹」等の施薬に発して、当時の政治、宗教、医薬の中心地である大和で作られたくすりが全国各地に広められていったのです。
 「奈良のくすり」の歴史はとりもなおさず「日本のくすり」の歴史であると言っても過言ではないでしょう。
◆奈良県とくすりの関わり
 奈良県は日本最古の朝廷が置かれた土地であり、くすりとの関わり合いもそれだけ古いものがあります。
 歴史書には、推古天皇が現在の大宇陀地方で薬狩りをされた(611年)という記述があります。

 古くは、寺院がくすりと深い関係を持っていました。中国から医薬術の導入、くすりの輸入などをして、民衆を病から救済しようという寺院がありました。
 有名な東大寺の正倉院には、当時のくすりが納められています。いくつかの寺院では、それぞれ秘伝の処方による薬が作られ、施薬が行われました。修験道で有名な大峰山の「陀羅尼助」がその一例です。

 一方、お茶という形でくすりは一般に広まりました。
 むかしは、薬というと大変高価で一般には手の届きにくいものでした。そのため、自分の健康を自分自身で維持するために、身近な薬草やその他の天然物を利用しようとして、様々な知識・経験が蓄積されました。こうして利用された薬草などを民間薬といいます。

 20世紀に入るまで、現代のような化学合成医薬品はありませんでした。それまでの日本の医薬品の主体は、漢方・生薬処方でした。当時の医学の知識は、中国伝来の医術を基礎としており、用いられる生薬も中国のものが主流でした。
 天産物である生薬の確保・安定供給は重要な問題でした。当時、高価な生薬を輸入する一方、国内でも調達できないものかと、薬用植物の栽培・採取がみられました。中国などから種苗を導入するだけでなく、国内に自生する植物の中から利用・代用できるもの、あるいは、より日本人の体質に合ったものが探されました。
 このような状況のなかで、大和(奈良県)では数々の優良な品種が確立されました。

 その一方で、全国各地のくすりを必要とする人々を相手に、くすりを販売して廻る産業が興り、「置きぐすり」という独特の形態をとるようになりました。

 現在でも、配置家庭薬として、全国の利用者にユニークな医療サービスを提供しています。
 生産、販売ともに、業務をさらに近代化し、良質の医療品を、利用しやすい形態で、全国の家庭にお届しています。
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